式内 高売布神社
Contents
概 要
社号 高売布神社
式内社 摂津国河邊郡 高賣布神社
読み: 古 タカヒメノ、現 たかめふ
江戸時代は「荷月大明神」と称していた
所在地 兵庫県三田市酒井宮の脇50
旧地名 摂津国河辺郡
御祭神
下照比賣命(しもてるひめのみこと) 配祀 天稚比古命(あめのわかひこのみこと)
合祀 応神天皇 倉稻魂命 闇山祇神 国玉姫命 菅原道真 市杵島姫命 大年命 若年命
例祭日 10月9日 秋祭
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
摂津国:式内社75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
河辺郡 7座(並小)
式内社
近代社格制度 旧郷社
創建 不詳(推古天皇の頃)
本殿様式 一間社流造檜皮葺
境内摂末社(祭神)
戎神社「蛭子命」、稲荷神社「倉稻魂命」
文化財
本殿・木造狛犬一対 国指定重要文化財
手本搗き 市指定 〃
一口メモ
国道176号線のJR新三田駅のある新三田交差点から県道570号線を東へ11.5 km。有馬富士公園口交差点を県道27号線へ左折する。ずいぶん奥まで走る高平小学校を過ぎ川の橋の手前左手に大きな社号標があり斜め左折し約200m左手に。
歴史・由緒等
同じ川辺郡(河邊郡)(現宝塚市)の式内社売布神社とは姉妹の関係の神社とされる。我が日高町国分寺にある大売布命を祀る式内売布神社とも関係がある。
『国司文書 但馬故事記』に、
人皇12代景行天皇32年夏6月に、伊香色男(いかしこお)命の子・物部大売布命(もののべのおおめふのみこと)は、日本武尊(やまとたけるのみこと)に従い、東夷(えぞ)を征伐したことを賞し、その働きにより摂津の川奈辺(いまの川辺郡)・多遅麻(たじま)の気多(けた)・黄沼前(きぬさき)の三県(あがた)を与えられる。
大売布命は多遅麻に下り、気多の射楯宮(いだてのみや・いまの豊岡市日高町国分寺)に住む。多遅麻物部氏の祖なり。
推古天皇の頃の創立と伝えられているが、明らかでない。しかし、古くから格式の高い神社であったことは、摂津国延喜式内社の一つに数えあげられていたことで明らかである。のち多田源氏の祖満仲がこの地方に広大な荘園をもってからは、荘内鎮護の神として崇敬をあつめた。近世に入っては麻田藩主青木氏代々の祈願所となった。明治末に酒井・十倉・田中・川原・布木・末吉各村の神社を統合し、合祀した
-『全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年』より-
古代から祀られ平安時代の「延喜式」に記載された式内社。中世には多田源氏の高平地域の総社とされ、近世には摂津麻田藩領になり藩主青木氏の祈願所とされた。
拝殿上の京都宝鏡寺門跡尼より寄進された社号額には「正一位荷月大明神」と書かれており崇敬を集めていたが、江戸時代中頃幕府寺社奉行の命を受け延喜式内社を調べた儒学者並河誠所により誤りが訂正され、鳥居横に「高売布社」と刻まれた新社号石が建つ。
本殿は檜皮葺き一間社流造り(国重文)、永正10年(1513)に再興上棟。草花を主題にした優れた彫刻装飾のある貴重な建築物。木造狛犬(国重文)はカヤの一木造りで永仁5年(1297)の墨書きがある。拝殿に奉納された絵馬は保存状態よく、三十六歌仙絵額、神功皇后遠征図、遷宮図など多彩である。
祭神 下照比売命、天稚比古命『社頭掲示板』
どうして高売布神社及び売布神社の御祭神が下照比売命(したてるひめのみこと)となったのかは、おそらく、『古事記』では、高比売命(たかひめのみこと)の亦の名が、下光比売命・下照比売命(したてるひめのみこと)であることで、高売布と高比売を混同したのではないだろうか。だからといって、長い年月で時代時代によって祭神が不明になったり、意図的に御祭神が替えられることは珍しいことではない。創建は推古天皇の頃というのは、人皇12代景行天皇32年夏6月に、伊香色男(いかしこお)命の子・物部大売布命(もののべのおおめふのみこと)は、日本武尊(やまとたけるのみこと)に従い、東夷(えぞ)を征伐したことを賞し、その働きにより摂津の川奈辺(いまの川辺郡)・多遅麻(たじま)の気多(けた)・黄沼前(きぬさき)の三県(あがた)を与えられる。からそれ以降だろう。
境内・社叢
社号標(県道307側) 社頭の古い社号標
鳥居
鳥居扁額 手水舎
拝殿 扁額
本殿(檜皮葺き一間社流造り:国指定重要文化財)
境内社 稲荷社
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